二十ウン年の束

実業之日本社から出してる「月刊ガルヴィ」である。1991年7月に創刊し、いまも毎月出てるんだから、かなりの長寿雑誌である。ワシはそれに創刊から20年以上、書いてたんである。するとご存知のように、って、存知てるのは同業さんだけか、つまり新聞や雑誌などは、書いたり取材受けたりすると、掲載誌っちゅーものを送ってくるわけだ。で、ふつうの雑誌なら読み捨てる人間でも、自分が書いたり載ってる雑誌は、ふつうは保存しちゃう。届くなり捨てちゃうひとも知り合いにいないわけではないが、ジャーナル的にモノ書いてると、ほかのページは資料だったりもするので、保存する人が多いのではないかなあ。
で、それが20ウン年溜まると、こんなことになるのだ。ひと束、3年。20年以上も書いてた安全のためのコラム「今月のウェスタンラリアット」という連載が終わってもしばらく届いてたから、7〜8束を、創刊編集長のW野さんと同じくらい仲良くしてくれた3代目(?)編集長だったOK田さんに進呈したのだ。余談だがW野さんはガルヴィを離れたあとドゥーパ!というDIY誌を立ち上げ、OK田さんはいまは、日本最大級のアウトドアイベントの主催者だ。
そんな編集長だったなら、関わった雑誌くらい持ってんじゃないか、と思う人も少なくないだろうが、ワシも昔、いくつかの編集部にいたからわかるけど、編集部って実は自分たちの作った雑誌、全部揃ってないのだ。「保存用」「持ち出し厳禁」なんて書いても、編集部員、そんなこと誰も守らないのだ。そのときは戻そうと思ってても、クロスオーバーしてはじまる次の仕事にかまけているうちに忘れちゃって、資料やバックナンバーが散逸していく。OK田さんだって、たぶん自分の在籍時代の分さえ、全部持っていないに違いない。
勝真太郎名だったり本名だったりで、いろんなことを書いたなあ。クルマのインプレッションや、グッズの話。人物取材や対談もいろいろしたっけなあ。夕陽評論家で役者の油井昌由樹さんとの対談の連載は面白かったなあ。しかし結局、ラリアットという連載コラム以外、なにを書いたかさえ覚えていない20ウン年分の束は、弊社会議室(別名デニーズ茅ヶ崎海岸点)での、楽しくワクワクする打ち合わせのあと、OK田さんの124ワゴンの広大なラゲッジのほんの片隅に収まって、彼の事務所へ運ばれていったのだ。

Author: shun

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