Gibson J-200 1963について書くよ

上の写真は、買ってきたその日に撮った、ワシのGibson J-200である。で、あれからとりあえず3年過ぎて、もちろんまだまだ気に入って使ってるので、一度このギターのことをちゃんと書いておこうと思う。

ギブソンのカタログに載ったのは1938年だけど、その前年、Back in the Saddle Againのレイ・ウィットリー(Ray Whitley)の持ち込み企画で製作されたというJ-200。当初はSJ-200という名前で、SJはSuper Jumbo、そして200は大昔のギブソンのルールとして、$200という定価を意味していたそうな。で、ギブソンのWEBによると、当時は$200に$50追加すれば、指板に名前をインレイできたそうな。

昔の日本のギターも、みんなそうだったよな。ワシの初ギター、ヤマハFG-240は2万4千円だったし、なんとか150といえば1万5千円、300なら3万円。モーリスはゼロ一個少なくて30が3万円でW-100は10万円だったもんな。てゆーかそもそも、ギターに限らず商品名なんてみんな、そんなもんだったよなあ。

J-200が200ドルで買えたころ、J-45は45ドルなわけだ。で、いま、J-45が20数万円程度で売られてるってことは、J-200は当時、J-45の4倍価格で100万円コースだ。大金である。
しかしいま、Gibson本体のWEB(https://www.gibson.com/)で調べてみると、J-45 Standard – Vintage Sunburstが$2,749.00なのに対して、SJ-200 Original – Vintage Sunburstは$4,649.00とJ-45の2倍以下。お茶の水だってJ-200は数十万円、実際のところ40万円以下で新品買えちゃうから、J-200ってばJ-45に比べてチョーお買い得になっちゃった。てか、J-45が高くなったのかも。

上の写真は、この楽器屋さんで試奏してハートをガツンとやられて、しかし即断できちゃう価格でもないので(^^;、その姿でも眺めながら一晩悩もうと撮らせてもらった写真である。ま、ちょいと気の利いた店員さんになら、コイツ、明日買いに来るな、とバレてたことだろう。
ついでにこの写真、当時使ってた“一眼レフみたいなボケ味”がウリだったスマホで撮ったんだけど、距離を判断して画像をボカす画像処理エンジンがアホなもんだから、左のペグはボかされて消え去り、右は、1弦のペグが消え去る一方、2〜3弦はペグとペグの間のバックがボケずに残っている。マヌケだ。

で、写真はともかく、コイツの最大のポイントは、やっぱこのルックスだよなー。17インチボディの、この圧倒的な存在感。このギブソンJ-200にこのルックスあればこそ、マーチンの、表から裏からネックの差し込みに至るまで、およそすべての接合部にアバロンのパーフリングが施されたゴージャスなスタイルに、もちろんサウンドも絢爛豪華なアコギの至宝、D45を差し置いて、King oh flat topsなんて呼ばれているのだ。おお、アコギの頂点に君臨するJ-200……。

しかーし現実には、このスタイルがこのギターのすべて、もっと言えばカッコだけのギター、なんて言われちゃうこともあるわけだ。だって、考えたらJ-200ってば成り立ちや当時の価格から考えたら、マーチンのD45に比肩して語るべき、ギブソンアコースティックギターの最高峰看板モデルであるはずなのに、J-200とD45のサウンドを比べた記事なんて読んだことがない。「頂点対決!! Martin D45 v.s Gibson J-200」なんて記事、見たことない。なんでやねん。

てか、マーチンとの音の比較どころか検索サイトで「J-200」まで入力すると、「鳴らない」ってのが、よくセットで検索されてるワードとして出てくるじゃないか。まぢかー。まあ、ここで個人的感想をぶっちゃけ書くと、ホントに鳴らない、つまらない音のJ-200も少なくない(と、あくまでもワシ個人は、感じるのだ。あくまでも当社比である)んだよなー。King oh flat tops、もしかしたらスタイルだけの話か? あるいはただの自称か!?

しかしワシは、もっとJ-200の音の話、もっと読みたいなあ。WEBなんかだと、とにかくカッコいい、とか、いろんなミュージシャンが使った、とか、そいう話はごまんと読めるんだけど、音の話、どこいったー。ちゃんとしたJ-200、こんなにいい音なのに。てか、ワシは好きなのに、か。

この個体は、カタログには存在しないチェリー・サンバーストだったのが、どこかの田舎のギター屋(もちろんアメリカのどこか、だ(笑))で吊るされてシコってたのか、トップのオレンジがかなり褪色しちゃっている。赤って、褪色しやすいんだよなあ。なので、オレンジだったはずのラベルも真っ白。シリアルさえよく読めない。ま、ヘッド裏の刻印はもちろん読めて、それによれば1963年に製作されたようだ。もちろんミシガンのカラマズーで。

そして60年代のJ−200というと、マスターシュ・ブリッジに乗っかってるサドル、じゃないか、ブリッジに乗っかってるブリッジとサドル(笑)は、賛否両論、つーか、めっちゃ好みの分かれるコレ、チューン・オー・マチックである。そう、世の中、エレキサウンドが流行ってるからつーて、エレキギターであるレスポールの部品ABR-1を、そのまま無理くり、アコギのブリッジにぶち込んだ、恐るべきサドルてか、ブリッジとサドルなのだ。

でね、ワシってば無知であること、粗忽であることに関しちゃ自信あるわけだけど、実はいま上に書いたような、J-200に関しちゃ基本中の基本と言える基礎知識さえ一切知らず、このギターをゲットしたのよ。ただ、コイツの存在感に惑わされて思わず手に取り、試奏させてもらってそのサウンドに打ちのめされて、その場はなんとか持ちこたえたものの、一晩たっても熱冷めやらず、翌日、再び神田小川町までふらふらと……。

ま、そんなわけなので、このギターのサドルが普通のアコギと違って、かなりヘンチクリンなのが付いてるっつーことに気付いたのは、なんと家に帰ってからである。そしてこのブリッジがミョーだと気付いたときにゃ、購入時点でそんなことにまったく気が付かなかった自分に、正直、かなりガックリ来たもんな。いやー、アジャスタブルブリッジとかが年代によっちゃJ-45なんかに付いてた、というのは知ってたけど、こんな金属の塊がブリッジに押し込まれたギターの存在なんて、考えたこともなかったしなー。いやー、無知と思い込みと観察力不足ほど恐ろしいものはない。

とはいえ、とにかく音にホレてゲットしたので、買ったことへの後悔はもちろん1mmもないわけだ。欲しい、と思った音で鳴るギターに出逢ったら、たまたまこんなサドルつかブリッジつーか、が付いてた、というだけの話である。それどころかそのギター屋さんで、同じJ-200で試奏比較して悩んだのが他に2本あったけど、考えたら結局3本ともチューン・オー・マチック搭載のJ-200だったんだから、たぶんワシ、この手の音、好きなんだなあ。(^^;

しかし、実はこのTune-O-Matic BridgeでもTOMでもABR-1でも、なんと呼んでもいいけど、コイツの抱えた重大な問題に気付くのは、少し先のことだ。詳細は最後に書くよ。

陳列棚に吊ってりゃ(もう決めつけている)後ろは陽が当たらないから、バックにはチェリーサンバーストのキレイなペイントがちゃんと残っている。さっきも書いたけど、赤ってインクであろうとペンキであろうと、とにかく褪色しやすいのよねえ。しかし17インチのボディ幅、ホントにど迫力。でしょ。

最近のJ−200のボディは、もっとネック側が薄くて、横から見れば上が先細りのテーパーかかってるんだけど、このころのは寸胴体型だ。こりゃ、よっぽどのガタイしてないと、ギターがでっかすぎて弾きづらいんじゃないか、と思っちゃうわけだけど、これが面白いもので、こんな巨大な、しかもそこそこに分厚い胴なのに、なぜか立って弾いても座って弾いても、おさまりがいいのよねー。いやほんと、ドレッドノートなんかよりも、ずっと。
マーチンのD-18もコイツ以上によく使うけど、弾いてる自分の写真見ると、胴を越えて出てくるワシの右腕なんか、まるでドラえもんだもんな。

もー、ギブソンでございます、というしかない、このヘッドストック。ロゴも、ペイントではなく豪華インレイ(笑)である。

トラスロッドのカバーは、CUSTOMと縦書きで入っているのと無印とがあるようで、64年から文字が入ったという説があったり、でも63でも入ってるのがあったりで、よくわからない。まー、真っ当に考えればギブソンが、当時、カタログスペック外の注文を追加料金もらって作ったときに、つまり客の注文で作った特別仕様のカスタム商品だから、その名のとおり、CUSTOMであることがわかるトラスロッド・カバーを使った、あるいは使うことにしていたんじゃないのかな。つまりこの個体なんかも、カタログになかったチェリーサンバーストというカラーをオーダーで受けたんだから、CUSTOMのカバーが付いてて然るべきところなんじゃないだろうか。

しかしそもそもこのあたりの年代のギターは、つまり50年以上も昔のギターである。トラスロッド回すための部品が新品から一度も外されたことがない、なんてことがあるわけないだろうし、メンテナンスとかで工房持ち込まれていぢられたら(もちろんアメリカの(笑))、はずした部品がそこらへんに転がってる別の部品と入れ違うなんて当たり前のようにあるだろうし、そもそもいい加減なギブソン、新品作る段階で、そんなにキッチリカッチリ部品や職人の管理してたとも思えない。そんなもん、わからんわー、という感じだ。とりあえずこの個体には、無印のトラスロッドカバーが付いていた。

インレイは、J-200だけの“crest”インレイ。よく王冠と訳されてるけど、トサカが正しい訳だったりして。

ギブソンつーと、ワシのイメージではクルーソンの三連ペグで、チューリップみたいな白いプラスチックのノブ、という感じなんだけど、これは豪華なゴールド仕上げのKLUSON製Waffle Back Tuner。とはいえ数十年経過してメッキがハゲチョロケになると、うむむ、だなあ。ま、ビンテージ感があるという言い方もできるが。
ついでに書いておくと、このチューナー、年代物なのにオリジナル。まったく問題なく使えるのよ。たぶんこのギター、あんまり弾かれてなかったんだろうなあ。チェリーサンバーストが褪色するくらいだから。

そういや、ふつうのJ-200に多いブラウン系のサンバーストだと、ヘッドストックの裏のあたりは濃いブラウン、つーか、ほとんど真っ黒だけど、こいつはチェリー・サンバーストなので赤いのだ。

60年代のピックガードは結構分厚くて、花柄は、花が少し小さくて、単色。最近のとは、かなり趣きが違う。口髭に似てるからそう呼ばれるマスターシュ・ブリッジに、前述のT.O.M.ブリッジ。で、この分厚いピックガードのせいで、この手のサウンドホールに挟み込むタイプのピックアップを取り付けるには、それなりの加工や、工夫や、あるいは妥協が求められるのだ。もちろんギブソンなので、ウェザーチェックは縦横無尽、というか、ある種の法則性を感じさせて、至る所にビシビシに入っている。しかし写真撮るんだから、ホコリくらい拭いてから撮ればよかったか。(^^;

なかなかビミョーな位置にストラップピン(ボタン)が打ってある。一般によく見るのは、まるでカマボコのような、ネックのヒールキャップに打ってあるヤツだろう。なぜかっちゅーと、こいつもそうだけどヒールキャップはたいてい別材なので、ヒールキャップだけ新品に替えれば、穴を開けた履歴がチャラになる(隠せる)からである。これはリセールバリューを考えたとき、たぶん小さくない問題なんだろう。しかーし、ヒールキャップに付けたピンにストラップかけてギター吊して立つと、ギターが重さで前に倒れるのだ。これは弾きにくい。つまり、いつか手放すときのことを考えて、大事な演奏性を落としてどーすんだ、という話だ。
なので、やっぱどうせピン打つならば、ヒールの高音側がベストなんだと思うけど、この個体の場合、ネックのヒールのど真ん中に打ってある。左ききでもオッケーだけど、そんな可能性、あったのかなあ。ヒールブロックの真ん中がいい、という理論、あるのかな。

J-200は2ピースのネックが多いけど、このころのネックはメイプルの3ピース。左右の材に、きれいにトラ目が出ている。しかし肝心の胴体は、バックもサイドも、うわー、さすがメイプル、きれいだなー、というほどの模様が浮いているとは言えない。カーリーだのキルテッドだの、フレイムだのバーズアイだの、メイプルいろいろ言うわけだけど、これがどのナニなのか、ワシにはわからない。ま、そんなの見ずに音聞いて買っちゃったんだし、模様で弾くわけじゃないからいいんだけど。
それにもし、コイツがメチャきれいなトラ目でも全身に出てて、しかもトップのオレンジも褪色してなかったら、いくら音が気に入っても、手が届かない価格だったかもしれないしなあ。

で、このT.O.M.、実はオリジナルのギブソンABR-1は取り外し、いまは通販で買った汎用品を取り付けている。なぜならT.O.M.、弦が切れたらサドルつーか、その弦が押さえてたコマが、どこかに飛んでいくからである。家で大人しく弾いてるときに切れたなら、たぶん床のどこか、そこらに落ちてるコマを拾えばいいだろう。しかし、これが暗いライブハウスの、なんだかんだがごちゃっとのたうち回ってるステージで切れたら、もーね、こんなちっちゃいコマ、絶対見つけられない。幸いなことに、ワシは家で弦を交換をしててコマを落とし、この大問題(笑)に気付いたのだ。もしかしたら、そんなこと常識問題だったのかもだけど、さっきも書いたように、ワシ、無知&粗忽なので、そんなこと知らずに買って、ホントに驚いたのよ。

いやー、しかしみんな、どうしてるのかなー。エレキだって、弦、切れるよなあ。と思って調べたら、ABR-1、後に改良されてサドル脱落防止用の針金が付いたんだそうな。あー、まー、そりゃそうだよなー。さらに調べたら、針金、500円くらいで売ってるぢゃん。

よし、ポチるか、と思って、しかしよく見たら、この針金、どうやらそれ用の穴が空いてなかったら使えないようだ。つまり売ってる針金は、もともと針金が付いてる改良版ABR-1の、針金のリプレイスなのだなあ。

てこたーやっぱ、針金付きのブリッジを付けるしかないか、というわけで、意を決して汎用品のABR-1を手に入れ、行きつけのバイク屋さんに頼んでグラインダーで、あっちこっちをチュイーンガガガガガしてもらって、やっとこ弦が切れてもコマが飛んでいかないJ-200になったのだ。てか、ふつうのJ-200は、弦が切れてもサドルは飛ばない(笑)。以下、その軌跡。

T.O.Mの弦交換!?
ブリッジのコマ
J-200のサドルとブリッジ備忘録
ブリッジ到着
J-200のサドルとブリッジ備忘録、の続編

Author: shun

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