AMELIA EARHARTじゃないけれど

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アメリア・エアハート。太平洋戦争の前に活躍したヒコーキ野郎、いや、野郎じゃ男だな。ともかく1920年代に、女性で初めて大西洋を横断飛行した人で、ま、航空機を駆った女流冒険家のなかでも、最も有名な人だ。まあ、音楽のウチワな人々では、某じゅんじゅんさんが唄うあの曲で知らぬ者はいないわけだけど、いま、風呂上がりに着ようとたまたまつかんだTシャツも、女流飛行家のイラストだった。Dianna Converse。こちらは戦中から戦後にかけて活躍した人で、夫とともに世界一周飛行をしたり、速度記録に挑んだりした。機名はいつもHuntress。1955年1月、単独世界一周速度記録への挑戦を目前に、彼女のダグラスA-20 Havocにて没。

そして1997年9月、ダイアナの息子のロバートは、わたしをNorth American P-51Dの後ろに乗せて、Renoの空を飛んでいた。エアレースの予選が終わったあとの、エクスペリメンタル・フライト。機名は、もちろんHuntress III。ダグラスA-26だった初代、そしてデハビラントDH98 MosquitoだったHuntress IIを自在に操り、幾多の挑戦を続けた“女狩人”を母親に持つロバートだけど、さすがに普段仕事で操縦桿を握るボーイング747には、そんな名前は付けられないだろうなあ。

よーい、ドンで、一周約15kmのコースを、レシプロ機が平均時速788kmで周回するという、世界最速のモータースポーツがリノのエアレース。どこかのHuntress IIIを紹介したWebには“Slated To Return To Reno For 2000!”と書いてあったけど、2005年のリザルトに名前が見えないのが気になるところ。そろそろ10年になるし、今年の秋くらい、またリノの空を飛びたいなあ。