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昨夜、こんとん館から帰ったら、訃報が飛び込んできた。
2月28日、曙橋“バックインタウン”での『坂庭省悟vs宮崎勝之』ライブは、バンド結成に向けた、記念すべき第一回会合の場であった。だが、6月1日、同じバンドのメンバーとでかけた吉祥寺“のろ”での『城田じゅんじ+坂庭省悟』ライブは、坂庭氏の“歯の治療”を理由に、急遽、城田じゅんじソロライブに変わった。
2月28日、ライブがハネたあとの、坂庭氏のあまりにも疲れた表情を、多くのファンは覚えていたに違いない。ただならぬ気配を感じ取ったに違いない。歯の治療などという理由は誰も信じなかっただろうが、だから、さしたる混乱もなく、城田じゅんじ氏のソロライブは進行し、終わった。
わたしはといえば、正直なところ、6月1日のライブだって、仲間に強く誘われなければ、きっと行かなかったかもしれない。確かにナターシャ・セブンというグループの楽曲は、ある時期、かなり深く聞いたし、KBSから流れてくるラジオを聞いて、彼らのパーソナリティに共感もした。しかし、きっとわたしには、一緒にバンドをやっているメンバーたちと比べれば、彼らに対する深い思い入れだとか、イベントなどに参加して味わった時間の共有感覚だとかが、決定的に足りないような気がしていた。それは、自分が音楽活動をするための、“核”の無さという自覚でもあった。
……なんて、小難しい書き方だな。平たく言えば、わたしもたいがいナターシャ・セブンが好きだったし、そこそこ知っているつもりでいたが、知り合ったナターシャ好きな人たちは、わたしなんかよりずっとナターシャ・セブンが好きだったし、彼らの曲やエピソード、フレーズや演奏のクセなどまで、実によく知っていた、ということである。
ナターシャ・セブンが存在してから二十数年経って、縁があってナターシャ・セブンの楽曲を演奏する仲間たちと巡り会った。そして仲間たちの思いを共有したくなり、もう一度、彼らの足跡をトレースしはじめたところで、坂庭氏は逝った。昨夜こんとん館で、坂庭氏が作った『花嫁』を歌ったとき、既に坂庭氏は、旅立っていた。
6月の“のろ”。坂庭氏のマネージャーから観客に手渡された、お詫びの手紙を、なぜか捨てられず、まだ手元に残している。そこには「今度、あなたとお会いする日は、また楽しい時間をともにすごせるよう、きっちり治療に専念します…(略)」と書いてあった。熱心なファンたちは、坂庭氏の回復を信じ、その日を待つことにしたのだ。そして、さしたるファンでもなかったはずのわたしも、過ぎ去った二十数年を取り戻すために、その日を待つことにした。この、マネージャーが書いたものをコピーしただけの1枚の手紙は、坂庭氏の唄を再び聞き、バンドのメンバーたちの“想い”に一歩近づくための、わたしにとっては約束手形のようなものだったのかもしれない。
もう、その日は、訪れることがない。