今日のサザンビーチ と首相官邸前はすごいことに


夏のような天気である。だから梅雨、どこ行った。って、降られても困るのだ。今日はバイクを受け取りに大磯行くのだ。
今日朝9時の線量は0.043μSv/h。この24時間は42〜43で推移していたようだ。しかし昨日の官邸前はすごかったようだな。主催者発表も警察発表も知らないが、パッと見た感じでは数万人かなー。まあ、今朝の各新聞を見れば、いろんなことが透けて見えるかもしれない。
しかし、そんな運動に水を差すつもりは毛頭ないけれど、ていうか、ワシだって行けるものなら行きたい気もするけれど、それではたぶん、この国はナニも変わらない。現場に立って、みんなと一緒にシュプレヒコールをあげれば(あげてんのか?)、なんだかみんなのチカラでこの国を動かせるような気持ちになれるのかもしれないが、たぶんそれは最終的に、70年安保のときにデモに参加した人たちと同じような、どうしようもない無力感とある種の達成感を、同時に味わうだけなんじゃないかという気がする。あー、なんか覚めたこと書いててとてもいやな気分だけど、そんな気がするんだからしょうがない。
政権交代からまもなく3年。この3年でわかったことは、民主党に政権維持の能力がなかったことだけだ、なんていう記事をどこかで読んだ。もちろんわたしは民主党なんぞに投票しなかったけれど、しかし、ワシはそうは思わない。ていうか、もっと始末に悪いことを考えている。それは、村山が首相を務めた自社さ政権のときに思ったんである。自民も民主も同じ、なんてレベルのことじゃなくて、この国はもしかしたら、実は政治や政権になんのチカラもないんじゃないか、ということを。そしてこの3年は、そんな思いをより強くした3年だった。特に震災以降のあらゆることを見ていると、この国の主権は国民にはなく、もちろん政権にもなく、もしかしたら官僚にもなくて、さらに言えばこの国は明治からこっち、民主主義を標榜し、主義主張を異にする党派が政策を争うようなふりをしながら、実は単なる藩閥政治をずっと続けてきたんじゃないのか。そして富国強兵の近代からこっちは、大東亜戦争の前後も含めて、実は日本は経済界がずっと主権を思うがままにしている独裁国家なんじゃないのか。と、なんだかそんな気がするんだよなー。って、まるで陰謀史観だなあ。
それはともかく、原発である。脱原発にしろ、原発推進にしろ、ホントに国民に主権があれば、たぶんとっくに、たとえばドイツのように、あるいはフランスのように、国としてのビジョンが明確に打ち出され、それに対する法整備が進められて、国家が動き出しているはずである。それができないこの国では、どうすればいいのか。
たとえば東電の株主総会で、猪瀬直樹が東電を追い込んだシーンがあった。東電病院の売却を迫った猪瀬直樹に対する、「医師が被災地で業務しているからベッドの稼働率が低い」、「都から一般開放は難しいと言われた」などの言い訳を、一刀両断に論破していたけれど、つまり、こういう正攻法の戦いを積み重ねていくしかないのかなあ、とか思う。仮にこの病院を売り飛ばしたって122億円にしかならないらしいし、それで東電の値上げ幅をどれだけ圧縮できるんだという話もあるけど、そういう小さなことを積み上げていくしかないのかなあ。もっとも、副知事の場合は強力な行政権があるから、相手を論破できるだけの情報を調査できたわけなので、同じことが一般人にできるとも思えない。と、そう考えると暗澹たる気分になってくるなあ。

Author: shun

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