今日のサザンビーチ と今日の放射線量


今日朝9時の線量は0.043μSv/h。そしてこの24時間は38〜49で推移していたようだ。ピークは早朝の4〜5時。
浪江町津島地区の住民120人が国と東電に賠償請求を求め提訴するようだ。総数で1000人程度の訴訟に発展する模様。住民が求めているのは、年間1mSv以下の被曝に収まる除染で、それが実現するまで精神的損害補償を月35万円/人、健康被害に対する不安の慰謝料を300万円を求め、また原状回復(年間1mSv以下の被曝のことか?)できない場合はふるさと喪失の慰謝料として3000万円/人を請求するそうな。
この地区は戦後に開拓された場所が多く、自ら開墾した世代がいまも生きている。彼らにとっては、強制的な避難は実は、単なるふるさとの喪失ではない。開拓の努力そのものが水泡に帰すと言うことなのだ。
線量的には、津島地区入り口の集落あたりにしか測定ポイントがないが、それでも毎時1〜5μ超の線量で、農地へ入ればさらに蓄積しているだろう。仮に全域が1μになっても、年間8.5mの被曝である。そして彼らが求める、年間1m以下の被曝というと、毎時では0.000116m、つまり0.11μ以下にまで除染しなければならないということだ。それは、この土地を拓いた人々が生きているうちには、たぶん実現しないだろう。ていうか、セシウム137の半減期は30年。風雨で拡散して倍速で線量が下がっても、いま生まれた子どもたちが生きているうちにさえ、その日はやってこないかもしれない。
チェルノブイリでは年間5mが強制的な避難の基準だと言われるが、年間1mを超えると「保証された自発的移住区域」とされて移住する権利が発生し、移住のための手当と補償が得られたそうな。チェルノブイリ法はいわゆるソ連時代の法律だから、これが実際どのように実施されたのかは知らない。また逆に言えば5年間は放置されてたから被害を拡大した面もあったり、あっちもあっちでいろいろ問題はあるわけだけど、少なくとも1986年に事故を起こしたチェルノブイリでは、その5年後の1991年、年間5m以上は強制移住、1m以上は希望者が補償付きで移住という、明確な国家の方針が立てられたということだ。。
対して日本は、チェルノブイリから35年経って原発をぶっ飛ばし、民主国家であるはずなのにソ連並みに情報を隠蔽し、そして事件から4年をすぎたいま、年間20mなんて被曝量をオッケーとし、民家の玄関先だけそんな数字に誂えて、”強制的に”帰還である。ソ連もひどかったけど、この国の住民に対する意識は、前世紀のソ連以下だっちゅーことである。チェルノブイリとは被曝の基準だとか被曝の解釈だとか数字の建て方だとか、細かいところはビミョーにいろいろ違うけれども、大ざっぱに言えばそういうことだ。さっきのPDFのリンクでもわかるように、平成23年10月、ちゃんと衆議院で研究したはずなんだけどな。

Author: shun

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