ある歌詞が「うーん」だな、てな話を先月のナターシャナイトで、ついポロッと言ってしまった。人が唄った歌の歌詞に「うーん」と言ってしまったからには、なんで言っちゃったかちゃんとコメントすべきかな、と思っていた。思っていたので書くには書いたんだけど、もとより結論の出るような話じゃないだけに書いた内容も「うーん」だったので、掲載するかどうかずっと悩んでいた。悩んでいたんだけど、読みたいと言われてしまったので、こらもうしょうがない。しょうがないので、追記に書きます。誤字脱字、乱筆乱文、ご容赦のほどを。


♪平和と自由、なんてステキな響きなんだろう。(旅の途中/高石ともや)
いつもの読者の方(いや、あくまでもこれは自分が自分のために書いている、個人的な日記なんですけどね(笑))ならご賢察のとおり、このblogは、敢えて政治や宗教の話題を避けている。が、よく唄うフォークソングには、単なる叙情的なものもある一方で、あるポリティカルな意味を含んだものも数多くあるわけだ。国家や体制、軍隊や政権与党などを揶揄したり、社会の捻れを糾弾したり拗ねたり。
戦争はいけない、平和が好き。そりゃ誰だってそうだろう。
で、わたしたちは叙情ソングからプロテストソングまで、ナニもかもを一緒くたにしてフォークソングと呼んでいたりするわけだけど、そこに含まれたメッセージには、人類にとって普遍的なメッセージもあれば、語り継ぎ歌い継いでいくべきメッセージもあるし、毒にも薬にもならないメッセージもあるし、おまえ、それは歌じゃなくて、どこかの政党か団体のアジビラぢゃないのか、というメッセージもあって、ココだ、とか、その言葉だ、とは言えないけれど、その境目が確かにあるように思う。そしてもちろん、その境目は、人によって違うのだろう。
たとえばブリハチというのは、ご存知のように『高石ともやとザ・ナターシャー・セブン』というバンドや、かつてそこにいた高石ともや、城田じゅんじ、坂庭省悟らがこしらえたり唄った歌を取り上げて、ヘタクソながらも自らやってみる、というバンドなわけだ。高石ともや自身、主張を歌にしてきたし、その結果岡林信康らとともに反戦、反体制の旗手として祭り上げられた時代があるし、そしていまに至るも日共系音楽団体と深く関わってきているわけだから、ある種の“色”が付いているのは、それはしょうがない。色付きどころか、特定団体の歌さえ作ったこともある。しかし、高石ともやが賢いのは、理屈でだか感覚でだかは知らないが、その境目をキッチリわかっていること。少なくとも一般の聴衆の前では、高石が反戦とか反企業、反自然破壊などのお題目を歌うとき、戦争や営利企業の非人間性、自然のかけがえのなさなど、そのものだけを対象に歌うことができる。
しかし、戦争はダメ、自由はステキといった、誰もが反対できない、とても耳障りのいい言葉をオブラートにして、実はなんのことはない、自分たちの政治的な意図を姑息に包み込んだメッセージを“フォークソングでござい”とやっている曲もたくさんあって、わたしはそれらが嫌いだ。
あくまでも、わたしが、個人として、嫌いだ、という話である。また、わたしのスタンスが、右だ左だ保守だ革新だリベラルだコンサバだファッショだ、とか、そういう一切合切に関係のない話である。もちろん、わたし自身の勘違いや解釈の間違いも、多分に含まれているに違いない。そこらへんをご理解の上、先へ読み進んで欲しい。って、あくまでもこれは日記であり、自分のための備忘録なんだけど。(^^;;;;
たとえば湾岸戦争という戦争があった。で、よその国ではどうだったか知らないけれど、わたしの印象では、この国では、多国籍軍によるイラク攻撃がはじまってから、“反戦活動”が沸き上がった。
わたしのある友人も熱心に“反戦デモ”に参加し、またパソコン通信のサイトなどで、“反戦デモ”への参加を熱い言葉で呼びかけていた。毎日、罪もないイラクの人々が、戦争で殺されているんだ。我々はなにもしなくていいのか!? と。
で、その友人にデモの行き先を聞いてみると、なんとアメリカ大使館だという。え? イラク大使館へは行かないのか? どうして?
この戦争はアメリカがはじめた戦争だから、アメリカが悪いんだ。え。そうだっけ?
ここで湾岸戦争の経緯を思い出してみると、1990年夏、突如、イラク機甲師団が国境を侵犯し、数時間でクウェート全土を制圧。即日、安保理が即時無条件撤退を要求する決議を採択したが、イラクは無視してクウェートの併合を宣言。さらにアラブ諸国の同調が得られないとわかるとイラクは、イスラエルのパレスチナ解放を撤退の条件に出すなどのクリンチ戦法に出る始末。で、事態は半年も膠着したが、年が明けて1月、約30カ国(もちろん米軍主導)で組織された多国籍軍がイラク空爆を開始し、約一ヶ月でクウェートを解放した、という経緯をたどったのだった。湾岸戦争というのを、多国籍軍の空爆を「開戦」と見ることもあるが、そんなことはどうでもよくて、要は“平和じゃない状態”が半年続いていたのである。
そういう半年間の経緯は全部横に置いておいて、アメリカが戦争に参加した途端に、アメリカはイラクの人々を殺すのをやめろ〜!
おいおい。そういうのは反戦ではなく、反米と言うんじゃないのか。なんでイラクによる、クウェートとの戦争(侵略)には、反対しなかったんだ。イラク兵に殺されたクウェート人の立場はどうなるんだ。
「罪のない人が殺されている。悲惨な戦争に反対しよう!」
そう言われてデモに参加したら、それはただの反アメ帝の政治活動だった……。
まあ、平和のためにとか言われて、なにも考えずにデモに参加する方もアホだけど、“戦争反対”という甘い一般論に政治的意図を覆い隠して、企図するデモの勢力拡大と政治的目的の実現を図るヤツらは、確信犯の詐欺師だと、わたしは思う。
そしてフォークソングも、知らず知らずのうちに、あるいは確信犯として、そんな卑怯なメッセージを流してはいないか?
ひとつのサンプルとして、『戦争を知らない子供たち ’83(作詞:北山修)』という歌を挙げてみたい。別に読者の感想を操作する意図はないけれど、引用に関して著作権法とJASLACのからみがわからんので(^^;;;、ここでは具体的事実や数字を歌っている部分だけを引用する。
※引用部の前段に、教科書に以下のように書いてあるという表現、中段(引用の空行部)に“これはホントなの”という疑問とも肯定とも取れる表現があり、そして後段で、自分たちは被害者の子でもあり加害者の子でもあったという認識とともに、自分の歴史はこれからである、希望に向かって歩き始めよう、といった表現で結ばれている。
『厳しい憲兵政治によって、農民の土地を取りあげて
朝鮮独立のための集会やデモが始まった。
日本の満州への侵略で始まった15年の戦争は
日中戦争によって中国全土に拡大していった。
さらに東南アジアをねらい、石油やゴムを求めて
アメリカ、英国、オランダとぶつかって戦った。
南京を占領したとき中国国民を殺害し
暴行、略奪、放火まで 犠牲者は20万。
占領地の人々を日本本土に連れて来て
非人間的なやり方に抗日運動は続いた。』
これらの記述が事実であるかどうかとか、当時の日本の行為が正しかったか間違っていたかとか、そんなことは横に置いておいて、そもそもこんなもんが歌詞と呼べるのかいな?(爆)、というのもさらに横に置いておいて、わたしはなにが気に入らないのか。まず、これらの歴史記述が“教科書に書いてある”という体裁を装っていること。「日本はこんなひどいことをしたんだ」というストレートなメッセージではなく、教科書に書いてあったけどホントなの? という構成になっているわけだ。
しかーし、この歌詞に歌われた内容は、83年当時という歴史背景を考慮に入れた上でなお、ある片側の陣営の主張だけを並べたとも言えるだろう。平たく言うなら、この歌詞の内容は、中国や朝鮮半島の、そして東京裁判の史観のみで構成されているのだ。と、某右派漫画家なら迷わずゴーマンかましちゃうに違いない。ネタの出所を糊塗する意図でもあるのか単なる語呂の問題か“の”なんて接続詞が入ってるけど、15年戦争なんて左翼用語(笑)が出て来ちゃうところなんか、お里が知れるとしか言いようがない。
両論ある議論の、一方の主張だけを歌って、ホントなの? もへったくれもあったもんじゃない。これが歴史の事実である、と主張しているのと同じだ。少なくとも、聞き手にとっては。そしてそれは“教科書に書いてある”風を装っているのだ。
でも、それこそ“それって本当”か?
そもそも、自虐史観という概念や新しい歴史教科書を“つくる会”の動きなどこそ最近の話だけど、南京虐殺に関しては戦後直後から、犠牲者の数から虐殺そのものの有無まで、議論百出の話。では、なんでこの’83年という時代に、こんな歌詞が作られたか。そう、ちょうど教科書検定によって、日本軍の「侵略」を「進出」に書き換えさせられたという「歴史歪曲」“誤報道”によって、日本の片側勢力や韓国や中国を中心として、世の中が大騒ぎになっていた時期だからかもしれない。そのバックボーンとして、60年代に「南京大虐殺」などが削除させられたとして家永三郎氏によって起こされた「家永裁判」の運動も、もちろん続けられていた。ちなみにこの裁判を中心にする論争は、乱暴に言えば歴史的事実に関する歴史学者の主張を、国家による歴史の歪曲という観点にすり替えて行われた、片側の陣営(笑)による大々的キャンペーンだったとも言えるだろう。まあ、この裁判に関して書き始めるとまた長くなるので割愛するが、単に自説を強く主張したかった学者と、国家権力と戦いたい勢力の思惑が一致したとも言える裁判は、いまでは故家永三郎氏の実質的敗訴が確定したわけだけれども、当時としてはそれなりにチカラのある勢力だった。
そういった背景の上で、誤報(それもかなり意図的な)だとあとで判明したとはいえ、“国家権力による「歴史歪曲」問題”が大きな国際問題となり、首相訪中を控えていたこともあって時の官房長官が談話を発表し、いわゆる近隣諸国条項が生まれた。その結果として、84年版より中学の、そして85年度版より高校の教科書には、基本的にすべてに「南京虐殺」が書かれることになったわけ。
つまり、さすがに83年当時の全教科書をチェックしたわけではないが、84年度版以降に「南京虐殺」がすべて書かれるようになったってことは、この歌詞が生まれた時点では、実際には「南京虐殺」を記載した教科書もあったし、書いてない教科書もあったわけだ。つまり、教科書に書いてある記述を読んで、これってホントのことなの? という問いかけを主題とする歌詞ではあるが、そんな教科書はなかったとまでは言わないものの、それが世の中的に当たり前の“教科書の記述”だったとは思えない、ということだ。もともと南京虐殺は時の推移に応じて教科書に載ったり載らなかったりしている話だったわけだし。
と、これでやっと見えてくるものがある。とてもうがった見方をしてしまえば、つまりこの歌詞は、そしてこの歌は、南京虐殺はあった、日本は中国や朝鮮でひどいことをしたと信じて、それを教科書に書かせる運動をしていた人々の、政治活動の一環だったんぢゃないのか?
で、ようやく本題に戻るんだが(笑)、この歌詞、おどろおどろしい歴史記述の前後は、キレイな反戦ソングになっているのよね。そして、新しい歴史、すばらしい未来へ向かって歩き出そう、という締めになっている。“残虐非道な軍国日本”を“教科書に書いてあったけどホントなの?”というオブラートでくるみ、前後を異論反論の挟む余地がない美辞麗句で包み込み、しかし中を開けてみれば、イデオロギーの臭いがプンプンした歴史観の植え付けが出てくるのだった。
なるほど、戦争に反対しようと言われてデモに行ったら、それは抗日デモだったってわけなのである。
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補足
何度も何度も何度も書くけど、これはわたしが、南京虐殺はなかったとか、大陸や南方への進出が正しかったとか、軍国日本を賛美する(笑)とか、そう思っているとか、そういうことで書いているのでは一切ない。
また、もちろん作詞者の北山修が、実際にそういった政治的活動をしていたり、政治的な意図を持ってこの詩を書いたのかは、わたしにはわからない。わたしが言いたいことは、作詞者がそう思っていたかどうか、とか、そう言う政治的意図があったかどうかじゃなくて、そんなふうなモノが歌詞の向こう側に透けて見えてしまう、というわたしの気持ちのことなのだ。
わたしはただ、わたしの個人的な感想として、こういうふうに聞こえる、ということであり、わたしはそういうのがキライだ、というだけの話である。そんだけのことを、こうも長々と書いただけなのだ。(^^;;
さらに補足の補足だけど、ベルリンの壁の崩壊以降、片側陣営が消滅し、それに伴ってイデオロギー史観が徐々に弱体化し、教科書からも「南京虐殺」や「従軍慰安婦」「三光作戦」などの記載がどんどん消えている。もちろんこういう動きには、ここ10年ほど前から活発になってきた反自虐史観とか「新しい歴史教科書をつくる会」の活動なども奏功しているのかもしれない。歴史的な事実が、果たして真実だったかどうか。そして歴史に対する正邪、善悪の評価は、時とともに移り変わっていく。つまり歴史教科書にしろ、古今東西の歴史書にしろ、載ってるから事実だなんて限らないし、載ってないからウソンコだなんてこともない、なんていうごくごく当たり前のことが、ちゃんと聞き手に伝わる歌詞であったなら、わたしもこの歌に対して、こんなにも違和感を覚えたりはしなかっただろう。
いま、教科書に載っていない言葉を、教科書に載っているとして歌われる歌詞。いまの若者はわたしたちとは違った印象で、「ホントなの? 教えてほしい」と思うかもしれない。